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【2025/07/11 06:00 】 |
うらまな

おそらく誰も知らないよ。見せないもん絶対。見られたくない、親しければ親しいほど。

だれにでも、あるよね。




私は、畳の上で死ねないなきっと。

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【2006/12/22 00:13 】 | (=´ω`=)y─┛~~ 病・右 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
ふさふさのふさいち

って興毅くんが言ってた( ´,_ゝ`) プッ


 今日、約2ヶ月ぶりにひとりで外出した。コンビニと病院とクロネコヤマト。 車の運転、ものすごい集中した。 病院で相当待って、この間の心理テストみたいなのの結果を臨床心理士の人から聞いた。私の口からはとても言えないお答えだった。え?IQテストだったの?みたいなのも含んでた。そして今後のカウンセリングについて聞いても、的を得ないお答えだったので、あの病院では薬を中心とした治療のみに専念しようと思った。
 先生に今日も診断書書いてもらったんだけど、今まで「自律神経失調症」と書いてたみたい。どうして本当のこと書かないのかな?と思って言ったら、「あ、書いちゃっていいんですか?」と言い、そのものずばりを書き始めていた。なんか、おいしゃさんって、ほんとに信用していいのか? 薬くれるから行くけど、どうも信頼できなくなってきてる。




 早くだんなさん帰ってきてくれないかなぁ・・・(;´Д`)ウウッ…

【2006/12/21 17:12 】 | (=´ω`=)y─┛~~ 病・右 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
理不尽よね
 カンニングの人、死んじゃったのね。奥さんも子どももいたのね。 どうして必要とされてる人が死んで、どうでもいい人が生き残ったりするんだろう。 世の中に死にたいって思ってる人なんて本当にたくさんいるのに、なんでそういう人たちが代わりに死なないんだろう。 神様って本当にいるのかな。なんか、いる気がする。でも、予想以上に冷酷なのかもしれない。 人選ミスとも思われる酷い死の選択の連続だもの。生きたい人と生きたくない人、両方にいじわるなのかな。 それとも、実は死の世界ってすごくすごくすばらしいのかな。現世での生活をはるかに超えて。でも、それでも、なんかおかしいな。 運命? 運命なんてないと思う。確かに生きていく道には選択をしなきゃいけない場所がたくさんある。むしろ選択の連続で生は成り立ってるのかもしれない。でも、その選択って、運命とかそうゆうことじゃなく、もっと現実的に判断されたり希望を基に判断されたり、とにかく運命なんかじゃなくその人の感情やその時の状況でされてるんじゃないのかな。 人生ゲームは回転盤をくるくる回してコマを進めていくけれど、そんなゲームの方が言われている運命に近いんじゃないかな。  神様は、人に運命でなく無数の選択肢を与える存在なのかもしれない。たくさんの選択肢をくぐりぬけて掻き分けて、私たちは結局のところまだ生きてる。  なに言ってるかよく分かんないけど、とにかくこの世は理不尽なことばかり。いいことしても悪いことしても、そんなの関係なく生と死に分別される。される、というか無意識に自分の選択がそのどちらかに足を向けることになる。 そんな数々の選択を完全に放棄した人にのみ、自らの手で死を掴むことが与えられ、実行される。 けれど、それでも自分の選択ミスによって助かっちゃったりもする。どこまでいっても選択の連続だ。 そう考えると、あまりにも果てしなくて、どうしようもなくて、少しでもよい選択をできる脳を持ち得ない自分自身に、途方に暮れる。
生きること死ぬこと、なんなんだろう。どうして人は、少しでも長く生きたいと思うんだろう。自分が経験して来た様々な出来事の中の数少ない良いことの印象が強いから、それを少しでも多く得たいって思うから、じゃぁ長く生きたいなって思うのかな。人は、なぜに生まれてくるんだろう。こんなにも果てしなく続く選択の連続が待ち構えているのに。その選択はできないのかな。生まれてくる生まれてこない、の。そこは、自然現象でしかないのかな。そこだけなのかもしれない、偶然に偶然が重なって生まれるという運命が与えられるのは。そして偶然は必然となって、この世に足を踏み入れることになる。生は運命、死は偶然の重なり。ん?でも死も選択した結果の重なりで辿り着くものなのかもしれないから、となると死も度重なる偶然の結果なのかもしれない。そもそも、生きたら死ぬんだ。それでもなんだかんだ言って人はあがいてあがいてたくさんの選択を重ね、自分の生きる軌跡を残そうとしているのかもしれない。それこそが、生きるってことなのかな。自分の存在を確認する作業=生。 痛みに耐えるのも喜びを感じるのも、全て自分の存在を確認する為。生きた証を残す為。自分の死という存在を、残す為。 そうゆうことを普段考えないで生活しているのは、その確認作業のために自分が生きているってことから少しでも目を背けなきゃ生きるってことがつまらなくなっちゃうからなのかもしれない。私たちの潜在意識の中には「生きる=楽しい 死ぬ=怖い」っていう認識がどこかにインプットされているのかもしれない。だから人は死を避けたいと思うし、生きることに執着する。
 なに言ってるんだろうね、たぶんこの文章、所々に矛盾やおかしなところいっぱいあると思う。でも、これも私の存在する証。たとえ明日は全然違う証を綴ったとしても。
 たぶんこれ、本当になに言ってるかわかんない文章だろうなぁ。自分の頭が思ったことに素直にキーを打っただけだから。
【2006/12/21 09:04 】 | (=´ω`=)y─┛~~ 病・右 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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