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今日は雲ひとつない快晴。暑くなる前のいい天気いい湿度はたまらん。日本に梅雨と夏がなければ、1年中しあわせでいられそう。
先週の土曜日病院に行った時に、先生に吐き気の話をした。 吐き気止めが全然効かなくて、それだけじゃなく予兆のない嘔吐にみまわれる、と。 けど先生には私が今体感している震えや嘔吐・頭痛に微熱・全身のしびれ、のどの乾燥・めまい等々は、ほとんど神経からきているものでそれにプラスして副作用が出ている、と説明された。でも今くらい激しくはなかったけれど、結構こんなことって病院に行くずっと前、高校1年生の頃から全然あった症状なのになあ。でも、胃カメラ飲んで胃の状態を見たりCTスキャンで脳をみたりしたから、やっぱりそうなのかなあ。話していて、突然次の言葉が出なくなったりなにを話していたのか果たして私が話していたのかなという健忘が強くなってきたり、字も書けないくらい手が震えるのとか、ちょっと自分でも怖い。 私は『うつ』という病気で始まった「パニック障害」や不安神経病とか、もぅありとあらゆる精神病を抱えているため、ひとつずつゆっくり治していくのはわかるけど、やっぱり今みたいな体は、つらい。治るのか・・・本当に。 そして昨日も今日もまた、予兆のない吐き気のため嘔吐。薬がちゃんと体内に入って威力をみせる前に吐いてください、私。 全然話変わるけど、私たちは子どもを授からない代わりとして、ノアがいてくれるのかもしれない。猫だから相当気まぐれだけど、3人でテレビを見たり3人で寝たり(ノアが真ん中)しているうちに「あぁ子どもがいるとこんな感じになるのかなぁとふと思った。1年かけてやっと私にも懐いてきたノア。私たち夫婦はノアがいるからうまく日々過ごせるのかも。 PR |
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今日はお義母さんの命日なので、お墓参りに。黄色と赤のチューリップを挿した。春はもう来てるのね。
そうそう。お義母さんの命日は、私たちの結婚式を行なった日でもある。でも特になにをしたわけでもない。今日は鑁阿寺をぶらぶらして参拝してきた。もう桜の蕾がふくれはじめていた。鑁阿寺のすぐそばにある「はとや」は、高校生の頃よく寄ってチーズハムたいやきを自転車乗りながら食べたなあ。今日は焼きそばを買って家に帰った。やっぱりはとやの焼きそばはおいしい。 昨晩、トイレに行きたくなって真っ暗闇の中裸眼でそーっと歩いていたんだけれど、閉まっていたドアに思いっきり正面衝突して片方のスリッパが脱げてあと片方のスリッパがちゃんとはけてなかったのでつるりんとまた滑りの加速度が増して、すごい勢いですっ転んだ。ものすごく驚いたし痛かった。 最近、前にも増して転んだり滑ったり負傷することが多い。27歳にもなって自分の足にもう片方の足を巻いたりして、何にもないところで転んだりするだなんて・・・レディなのに情けない・・・。 昨日また薬が変わった。2週間様子をみてまた薬を追加するかも。副作用が出過ぎて記憶力の低下・震え・顔面痙攣・吐き気が特にひどい。記憶力、本当に下がってる。本当に副作用かなぁ・・・。 |
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私は4・5歳くらいの男の子の母親。でも男の子は記憶の中でしか存在しない。 私は、普段から穏やかな運転手がルールを守っていながらも少しのミスが原因で引き起こした交通事故により、その子どもを失った。
もうよくこれだけあふれ続けるなぁというほどずーっと心の中で自分の子どもを思い出し泣いた。現場を絶対に離れることなく、コンクリートの道におでこをくっつけて子どもを思い出しては泣いていた。 なぜか高校2・3年生の頃担任だった伊藤先生が出てきて、何人か知り合いのいる子を含んだ自分のクラスの生徒たちと一緒に、徒歩でどこかに遊びに行く途中だった。 クラスの子たちはほぼ私のそんな姿にうんざりしていて「せんせーい。いいから早くいこうよー。」と言っていた。知り合いの子たちはたまに「ねぇ行こうよー」とか「しょうがないじゃん。もう忘れなよー」とか私にいくつかの言葉を発しつつも、早く出発しないことにちょっとイライラしていた。私は、誰の言葉にも返すことができずにただただ四つん這いになって泣き続けた。 そしていきなり、伊藤先生が私が誰からも見えなくするために、ものすごい大量の世界史の授業のときに使う資料を投げ入れた。もう誰からも見えないけど、まるで紙の鎌倉のようになっていた。 いつのまにか場所は変わっていて、みんな何百万円もの賞金がもらえる宝さがしをやっていた。楽しそうな声や姿が視界に入ってはくるけれど、相変わらず私だけはコンクリートの道路で泣いていた。 伊藤先生も宝さがしをしながら、たまに様子を見に来た。もう、頭の中には悲しみしかなかった。自分の子どものことだけしか考えられなかった。私が悔しくて悲しくて泣いていても、やっぱり視界にはものすごく楽しそうに走り回るクラスメイトたちの足だけしか入ってこなかったけれど誰も憎んでいないし、むしろ放っといてくれることに安心感を抱いたりしていた。。 誰かが当たりらしき物を発見したが大喜びをしていたのもつかの間、当たりらしき物はクラスで一番元気で目立つ人が多いグループの手に渡っていた。でも、誰もなにも言わずその喜ぶ姿に拍手をおくっていた。 そのグループが手に入れたのは「本当のあたりを手に入れるチャンスがもらえる権利券」でしかなかった。でもみんなぶーぶー言いつつも楽しんでいた。伊藤先生が突然だけどすごく絶妙なタイミングで私の子どもに何が起こったのかを説明し始めた。私はそうされるのが嫌でなかったしクラスメイトたちも少し落ち着きながらちゃんと聞いていた。その説明は、もう一度事故が起こったかのように誰の頭の中でも再現できるほど詳しかった。軽トラック、歩道を歩いていた私の息子、ちょっとだけ避ける間隔が足りずに息子に当たった、運転手側のサイドミラーに引っかかっている男の子、怖くてたまらなくてスピードをあげて振り落とそうとする運転手、どんどんどんどん状態が悪くなり全身が真っ赤にただれる男の子、ようやく振り落とせて怖いながらも少しだけほっとする運転手、振り落とされボロぞうきんのようになった男の子、私はそれを見ていた、子どもは少しだけ息をして私のことをじっと見ていた。 ・・・こんな夢を見てしまった。悪い夢は公言したほうがいいと思うため、説明は下手だけどここに書かせていただきました。あー・・・・・・・・・・・・。 |
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