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ただ今、朝4時をまわったところ。2時半ちょっと前に目が覚めて、もう眠れないから借りてきたDVDを見て時間潰し。短く見積もっても、あと2時間半くらいは余ってる。なにか有意義な時間潰し方ないかな。
ネットにつながるまであと一週間くらいはかかるらしい。この時期、忙しそうだもんね、仕方ない。 伊丹十三の『静かな生活』を見た。ミンボーの女とかお葬式とは全く違うテイスト。障害者の兄を持つ画家志望の妹。彼女の生活は、けっしてボランティアでも大変なことでもなく、ただ単に兄を慈しむ妹なだけ。宮本信子の台詞が心にしみる場面が多々あった。特に何かの事件に巻き込まれるとかそうゆう上り下りはなく、本当に普通のことを普通に撮り普通にラストを迎える。まさに静かな生活。 私の母親は何年か前に脳出血で倒れ、自宅にいる今でも右半身の麻痺がつづいている。最初の頃こそいろいろ配慮したり必要以上に手出ししたりしていたけれど、今ではこのお母さんこそ私の母親であるとしか思わなくなり、普通に話したり普通に家事をしていたり普通に笑っている。そこに『障害があるから』なんて気持ちは一切なく、普通に暮らしている。誰にだって出来ることと出来ないことなんて当然ある。だから障害者だからではなく単に出来ないことがある人の代わりに出来る人がやる、ただそれだけ。 私は正直に言うと、ボランティアなんて大嫌いだ。その「上から目線」が 非常に嫌だし「やってあげてる」の精神も気に入らない。全てが嫌なわけではないけれど、本当の意味でのボランティアって、さぁ取り組みましょう!と高々に宣言したり呼び掛けで集まった集団がわざわざ日程や時間やルールを決めてやることじゃない。 階段を一段踏み外してよろめいた人を反射的に守る。そうゆう無意識で無自覚な精神がボランティアと言う語で表現されただけ。なにもわざわざ気負うことも奮い立たせることはない。その語を活かすために生まれた語でも使われる語でもない。 だからそれさえ普通にわきまえていれば、偽善でも同情でもない「思いやり」っていう気持ちが自然と適材適所に出没するんだ。同じ目標を目指している集団と同じ称賛を求める集団。見間違ってはいけない、難しいけど。 まとまらない文章をダラダラ綴っていたら、いつのまにかもうすぐ5時です。あったかいお茶を飲みながら本でも読んでます。風邪をひいたようで喉が痛くて若干ハスキーボイスです。でも、基本はTシャツ&ショーパン生活です。氷もボロボロ噛み砕く春夏秋冬です。 PR |
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