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昨日、私は会社を辞めました。 本当に心から大好きだった会社でした。だから、その決断をすることが、苦しくて悔しくてどうしようもありませんでした。
午前中、支店長と話し合いをしました。一緒に働いている支店長、統括部長、そして産業医の先生、先日の痴漢事件による私のダメージで、もうこれ以上勤務させることは危険だ、ということを話し合いました。でも、私はどんなに辛くてもどんなにたくさん薬を飲んでも、とにかく大好きな仕事ができる大好きな会社を離れることは絶対にしたくないということを訴えました。 でも、私が言っていることはかなり自分勝手なことだと思いはじめました。 私のように鬱・PTSD・パニック障害を抱える社員が自分では無理を無理と思わず働いていても、そばにいる他の先輩方や支店長、会社にとってはいつ病状が悪化するか、病気を悪化させないように考えながら一緒に働くことは、ものすごい負担になって、そしてこれ以上ないくらい気を遣いながら日々一緒に歩んでいかなければならないんだ。そのことに、ようやく気付きました。私は、自分だけが頑張っていると勘違いしていましたが、それ以上にまわりの人たちに余計な重荷を課していたんだ、ということに。 午後、私との話し合いのために、みなとみらいの本社から人事課長が来てくださいました。彼女は、私の採用試験の面談から、ずっとお世話になっている方です。 課長は、私のまとまらない話をずっとだまって聞いてくれました。一緒に泣いてくれました。そして、私は、大好きな会社だからこそ、本当にいい人たちに恵まれた会社だからこそ、辞めることにしました。 課長も支店長も統括部長も先輩たちも、みんな真剣にこう言ってくれました。「充分に身体を治してから、どんな形であれいつかまた一緒に仕事できるんだから」と。 長期間に渡る休職・先日の痴漢行為による休職、そんなことがあっても、会社は私とうまく共存できるよういろいろ考えそして配慮してくれました。だから、私は昨日まで会社に所属することができました。 今、私はこの1日すらどう過ごしていいか分かりません。でも、いつになるか分からないけれど、いつかまたあの会社に戻りたいと思っています。まだまだ憶えることや深めていかねばならない仕事がたくさんあるから。もし、それが無理なら、これもまたいつになるか分からないけれど私はあの会社のアソシエイトとして派遣就業したいと思っています。 本当に、たくさん泣きました。先輩たちが「誕生日用で用意してあったものなんだけど」と言ってくださったお花にさしてあったメッセージカードには、いつみんながかいてくれたのか分からないけれど、支店のみなさんからの「復帰、待ってるよ」とか「必ず完治するから」とか「これで会えなくなるわけじゃない」とか、本当にあたたかい言葉が綴られていました。先輩たちがこっそり耳打ちしてくれた「まじで戻ってきてね」「ほんとに待ってるから」という言葉にたまらなくなりました。 私は、自分の病気を治し、1日でも早く会社に戻れるよう、休養に入ります。絶対に、また戻りたいから。あんなあったかい会社、他にはないから。 今日からは、もう泣きません。昨日、半生分くらい泣いたから。 電車の中、電車から引きずりおろされ猥褻な行為をされた私のために、防犯ブザーを買ってきてくれただんなさん、ありがとう。また、持ち歩く時が絶対来るから、その時にまた使わせてもらうからね。半レイプのあのような事件、まだ忘れられなくて怖いです。でも、必ず強くなって、会社に戻りたいと思っています。本当に再度受け入れてくれるのかどうかは分からないけど、受け入れてもらえるような人間になって、戻りたいと思っています。 休養期間2ヶ月は短すぎる、と言った主治医の先生や産業医の先生は、正しかったのかもしれない。今まだ1日1日をどう過ごしていいか本当に分からないけど、とにかく前を向いて歩いていこうと思います。 へこんでなんか、ないよ。むしろものすごいあの会社に戻りたいって気持ちで結構ポジティブだったりする。 私生活で、だんなさん以外の人とも話せるよう会えるよう、とりあえずそれが目標です。 PR |
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生まれ変わったら飼い犬になりたいって気持ちは昔から変わらないけれど、もし人間に生まれ変わらなきゃいけないシステムだったら、しょこたんか桃井かおりか深津絵里か秋吉久美子になりたいヮ。
我が愛しの玉袋筋太郎様と恋仲になり水道橋博士とありとあらゆることについて一晩中熱く語りあいたいヮ。これは現世でも来世でも持っていたい夢ですヮ。 |
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