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村上龍のピアッシング読んでます。トルエンって気持ちいいのかなあ。私は持病の治療薬のせいで一切のクスリはできません。あーなんとなく背中から腰にかけて大きな刺青を入れたい今日の午前中の私。しないけど。ピアスですら空けてないもの。
私は、究極に追い詰められそうになると自傷行為をする傾向にあります。それは、自分の身体だけでなく心にもダメージを与えたくなるのです。ですから、身体を痛めつけ更に心がぶっ壊れるほどにいたぶってやります。そうすると、痛いなあとか苦しいなあとか悲しいなあという単純な感情が芽ばえてきてちょっとだけ落ち着いたりします。もっともっと激しくやらなきゃと思う時には、それは静止します。ひとりぼっちで死んじゃったら、そのへんにうようよ漂う地縛霊になっちゃいそうだから。だから、死に至らない程度にダメージを与えてやります。見たら絶対にすごく傷つくものを見たり、やってみたりします。死に至らない程度に、という部分が私の弱さです。 それから、逃亡癖もあります。大事なものを相手に、そこからダ-っと逃げ出すんです。本当は離れたくないのに、わざと逃げるんです。本気なんだけど。で、そんな私にうんざりしてくれるのを待つんです。これは、とても有効です。けれど離れたくない私は、自分でそうしたにもかかわらず大きなショックを受けます。誰を責めることもできない、自業自得なことなのですが、そうやって誰かのせいにできない自分自身への怒りや悲しみをどこにももっていけないような感情に化して、辛い思いをしたりします。逃げたいくせに、離れていって欲しくない。そんな矛盾は私をどうしようもなくへこませます。 そして今、私は決してネガティブではないけれど、そんなことをしたい気分に見まわれてます。でも結局のところ何もしないしできないでしょう。 このような私を、うんざりしない人なんていないでしょう。喧嘩をした時、好きな子と最後の瞬間を迎える時、必ず私の目には疲れ果てた相手の表情が見えます。自業自得だから、誰に責めることもできません。 感情の起伏というか、喜怒哀楽が分単位で訪れる。幸せだと感じた直後には、このあとものすごいでかい嫌なことが起こるんじゃないかと怯えたりします。楽しいことのあとにも、同じ感情が湧いてきます。ただネガティブな感情だけは、いつだって私の隣にあったりする、いつも嫌な感情の影が漂っています。 人を傷つけたり、人を侮蔑したりするのは大嫌いです。ただ相手が私となると、もうどんなことだって受けたいと思います。私は、常に平坦な道を選べない、そんな馬鹿みたいな選択しかできないようです。常に自分を痛めつけていないといられない性質のようです。だから自分をネタに笑い話ができます。人にアドバイスしたりとかもできます。自虐体質、とでもいうんでしょうか。 この世の中嫌なことばかりじゃなくいいことだってたくさんあるのに、なにをどうして怖がってしまうんでしょう。私にも自分のことが分からなかったりします。自分自身だから分からないのかもしれません。 人は必ず何らかの意味を持ってこの世に存在します。私にも何か意味はあるんでしょうか。 いろんな仮面を外したら、なにか開けてきたりするんでしょうか。ただ、それは私にとって大きな賭けでもあり巨大な恐怖心すら生まれます。 いつだって思います。悲しい殺人事件。人を殺したいなら、ここにいいターゲットがいるのに。どうして私を選んでくれないんだろう、って。人を貶めたくてたまらない人も、ここにあるのに。世の中のいじめや殺人やいろんな残虐な事件、私でどうにか発散することがいるなら、いつだって貸すのに。私を必要としてくれる人がいるならば、どんなことも受ける準備はできてるのに。 PR |
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30歳までには、この世の全ての人の幸福を心から喜べる人間になりたいなあ。あと3年きっちゃったけど。せめて身勝手さを抜きたい。
30歳といえば、私は中学生の頃から30歳には人生の幕をおろしたいとずっと思っていました。30歳までに恐ろしく中身の濃い生活を送って、「まだこれからなのに・・・」と言われるほど人間的に成長していたその途中で、自分的には後悔もなにもない大満足な出来事をこの胸に刻み付け終焉を迎えたい、と。だから私には、30歳を早く超えて、20代までのいろんな経験をそれ以降の自分の人生に活かしたいという最近の思いと共に、あと3年しかないので急いで充実させなきゃと焦る気持ちが混在しています。 でも、過去の予定では20歳で結婚して子どもを産むというはずだったのに結婚は6年オーバー・子どもは永遠にオーバーという結果になってしまったので、今後どんな予定外の出来事が起こってしまうか、ちょっとヒヤヒヤしています。すごい、どうでもいいことばかりいつだって考えているのです、私ったら。 でも、この文章を書いている私の心理は、決してマイナス思考でもネガティブでもなく、実際にずっとずっと胸に抱き続けていたことそのままです。いろんな仮面を被りいろんな私を演じ分ける私。本当の私が果たしてどんなものであるかは、だんなさんにも友だちにもそして私自身にも分からないことです。というか、きっと全て私自身なんでしょう。 だけど、私を全ての角度から見せてしまったら、おそらくいろんなものを失うでしょう。それほどまでに、なにげなくそれとなく自分のいろんな面を隠しながら装いながら、今現在までたくさんのことを経験してきました。今こうやってダメな自分でいることは耐え難い。もっともっといろんな経験を積みたい。 どなたか、私と会っておきたい!と思ってくれる貴重な方がいらっしゃいましたら、一応30歳になる前に会っていただけると確実にアポイントが取れると思います。これ書き終わって何らかの事故に巻き込まれ急死しちゃったらすいません。大丈夫だろうけど。 30代以降って、楽しそうなものがゴロゴロしてそうだなぁ。 27歳になった今、闘病しながらいろんな精神世界のみに想像を膨らませ、他人と向き合うことが怖くてたまらなくて薬と激しい緊張によって全身がブルブルと震えながら1日を過ごしている、今日一日が本当にもったいないと思います。だから、せめて今できるアクションのひとつ、いろんな本を読み漁ったり家中の掃除に勤しんだりして、精一杯いちにちいちにちを生きています。たまに本当にネガティブになって「生きててすいません」としか思えなくなる時もありますが、そんな時でもその思いを断ち切ろうとしていたり、結構自分の中での闘争は激しかったりします。 30代以降は楽しい出来事がゴロゴロ転がっていそうだと思えるその期待が、生への執着心になったらいいのかな悪いのかな。ちょっとだけ、30代以降を満喫したいなあという気持ちも、なくはない。ただ、これ以上自分の身勝手さによって大事な物や大切な人をなくしたくはないです。 今後とも、後悔しないよう生きていきます。究極の身勝手-私が死んだことをひとりでも多くの私が大好きだった人たちが心の底から泣いてくれるように。大好きなひとたちからずっとずっと忘れられないように。それが、私の夢なのかもしれない。 私の大切なものたちが、今日もいちにち笑顔で過ごせますように。そして私も、今日もいちにちそう本当に願うことができますように。 ひとつ誇れること。 どんな状況下にあったって、私は嫌いなものや拒否したいものなどは一切身の回りに備えてはおりません。 だから、今私がもっている人や物事など全て、私にとって心の底から好きだと思えるものしかありません。好きなものは好き。嫌いなものは嫌いだから切り離す。そうゆう振舞が身勝手さのひとつなのかもしれないけれど、大切なものだけをひたすら思い続ける私のことを、私は嫌ではありません。 気持ち悪いかもしれないけれど、私は私のまわりの全てが大好きでたまりません。たとえ極細のつながりであっても、実は私が握り締めているだけでつながっていないものだとしても、私は全てが大好きです。ごめんなさい。 |
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そろそろ頭の中がカオスに。 |
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