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本日も朝から体調が芳しくなく、お風呂掃除を終えると急に発作。ここのところ毎日のため、かかりつけの病院に電話をして予約外診療をしてもらうことに。
午前中そんなに混んでいなくて比較的早く診察してもらえた。ただ、私の主治医は毎週土曜日の午後しかいないため初めて見る先生にお願いすることになった。 私は今、うつ病から短期精神病障害への切り替え時であり主治医はたぶん今薬も様子をみながら変えていっている過渡期だとのこと。だから今度の土曜日の予約日までは辛くても我慢しなければならないとのことで、ホリゾンを少し足してもらって帰宅。 そして午後は、薬を飲み寝ていた。 夜、実家の両親から電話。体調が悪いとはいっても今どんな病気にかかっているのか直接説明しに来い、と。以前私が家出をしたときにだんなさんが説明してくれたのに、結局理解はしてもらえなかったんだ。 それもこれも、私が親戚のおばさんたちとおばあちゃんのことで度々話す機会があり、そのことが両親にばれ、『世間体』を気にする私の両親は【他人に精神の病だなんて話すこと】【あまりうまくいっていない親戚付き合いだから余計な関係を持ちたくないのに自分たちの娘が平然と付き合いを持続している】という理由のため、私の病気のことなんて二の次になって背景に対して立腹しているようだ。もちろん、どんな病気なのか聞いたことは忘れて。 どうしたらいいんだろう。私の実家は大多数の家庭とは少し異なっているため伝えきることは出来ないんだけれども、とにかく世間体を非常に気にする。そして、何事も『気力』でまかなえると信じている。だから私は27年間なにがあってもずーっと「気力だ」「気の持ちようだ」と言われ育てられてきた。物には限度ってものがあることを私だって分かっていたから、実家ではあまりというかほとんど話をする娘だった。だから余計に、両親にいろいろ言付かれていたんだろう。 結婚して、ようやく自分たちのペースで生活が出来ると思ったが、大間違いだった。毎日電話をしないといけないし最低でも週1日は実家に行くということが暗黙に設定されていた。私たち夫婦は、もう無理だった。 両親のことを馬鹿にしているわけでもけなしているわけでもない。ただ、今私に理解できるのは、私はカヤマの家に合わなかったということ。合わなかった、合わないんだ。 だんなさんは、すぐにすぐどうにかしようと思わないで体調の良いときに行こうと言ってくれている。けど、電話がかかってきたらどうしよう・・・シカト???それはそれで心苦しい・・・。 血の繋がった家族ほど、厄介なものはない。 PR |
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今日という日こそ、まさに身体と心が離れてしまったことを表現したであろう1日を送ってしまった。どこまで行っても何をしてもどうにもならないから、どこまでもどこまでも海の底に沈んで浮き上がってきた溺死体のようだ。そうだ、溺死体だ。その通りだ。
笑えない。話せない。苦しいけれど、なにもできないしたくない。眠ることすらしたくない。かといって起きていてもなにもしたくない。早く土曜日になっておくれ。そしたら私、先生に入院させてもらえるように話すんだから。 さあ、けなすも怒るももう何でもいい。ただし、もし非難するなら今の私ではなく以前の私に言って欲しい。勝手な話だけど、今はもう、違う生き物なんだ。生き物、でもないかもしれない私。生き物って心臓がとくんとくん鳴って呼吸していればいいのか。それならそれも止まってしまえばいい。 友だちは、任せる。こうゆうことは友達間では大きな溝だしね。 でも私、もうたぶん長くないよ。だって、入院させてもらって、今よりもっともっと気が狂ってもはや人間と呼ばないモノになる予定だから。予定は未定だけど、そうなりたいよ今はもう。もう人間は、ツカレタな。私はたくさん悪いことしたから、希望通り地獄行きだろう。あぁ、そんなこと考えるのももういやだ。 |
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短期精神病障害とは、ドーパミンの増加によって起こるからという理由もあるそうな。でも、いざドーパミン増加と言われてみるとはてはてドーパミンとはなんぞや?ということになる。既にうつ病を卒業して統合失調に切り替わっている私の脳内は、今頃てんやわんやだろう。 だから、私は突然いろんなことを思い、考え、そして何の解決にもならない泣きべそをかくんだろう。 どうにもならない脳内。脳内が整備してるわけじゃないんだから、ちゃんとした考えがまとまらない。とにかく、何事も不安に感じ、最終的に待っているのはただの暗闇としか思えない・・・というどうしようもないスパイラルが出来上がっている。それも、ところどころにトゲトゲがあるやつ。
薬のせいで完全に女性ホルモンの分泌が異常になり、太るばかりだし生理もこない。やりたいことが頭の中に浮かんできても、すぐにその考えはマイナス方向に流れていく。だから、しょうもない一日を過ごしている。私は、これで良いのか。このまんまなんだろうか。不安ばかりが胸にもやもやを残していく。 昔勤務していた市内の印刷会社で起こった、2005.03.04の男性中年営業からの電話。突然怒声を浴びせられてからいろんな歯車が合わなくなった。 今までもそんな傾向はあったけれど、仕事に支障が出るくらいの身体にはならなかったのに。そしてうつ病を正式に発症。セクハラに合い、みんなの前で暴言を繰り返され、私とまともに話してくれる人は本当に少なかった。2・3人。私は毎日、山に登り車の中でお昼ごはんを食べた。その営業が執拗に私をいじめているのを見ていても他の人たちは知らぬ存ぜぬで、誰も助けてはくれなかった。 私は、会社に行けなくなった。ちっちゃな町の精神病院に行くと、完全なうつ病と判断された。先生は、そんな会社早く辞めなさいと言っていた。でも、私はそれを決断することもできなかった。 あれから2年。私は今、こういう形で生存しています。私の「なにか」を返してください。そうも思うけれど、いじめやセクハラがあっても強く立ち続けられる人もいるので私がまだまだへなちょこだっただけだろう。 2005.09.24私は自分にとって初めて現れた仕事と巡りあった。嬉しかった。まじめな人、いろんな不安を抱いている人、やる気のある人、そんな人たちが1秒でも長く笑顔でいられるお手伝いがしたいと思って勤務していた。楽しかった。大変だったけど、本当にやりがいのある仕事だった。 うつのことは隠し、勤務した。 しかし、再発。悔しかった。 2006.09.01本当に共感できる目標を掲げている会社と出会い転職した。もう、申し分ない仕事だった。通勤時間はかかるけど、本当に本当にあぁやっと会えた、と思う会社だった。誰かのために、その誰かはクライアントやスタッフだけでなく、一緒に働いている皆さんのお役に少しでも立てれば、と思い毎日を繰り返すのが大好きだった。 そして約3ヵ月後、また再発。復帰できたと思ったら、電車の中で痴漢にあい二つ降りるのが手前の駅で降ろされホテルに連れて行かれるところを無我夢中で振り切り泣きながら家路についた。そしてまたひとつ傷口が開いた。 上司と人事課長と話し合い、もうこれ以上は無理だと判断し、退職した。本当に、本当に悔しくて情けなくてたまらなかった。 あれから約半年。私はついに統合失調症になった。 私の何が、悪かったんだろう。自分を強く支え、逆境にも負けず歩いていく能力が私にはないのかもしれない。それって、仕事だけじゃなくプライペートな場所でもそうだったかもしれない。 その能力がない=生物として失格 これから、あと1分後あと1日後あと1週間後あと1ヵ月後、そしてあと1年後、私はどうなっているんだろう。今は暗闇しか見えない。でも希望は抱いてる。暗闇の中に1点の光が見えないか探している。 私の今後。 |
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